Nepal

比較幸せ不幸せ

人は比較なんぞしない方が幸せに生きていけるのかもしれない。でも同時に娯楽がひとつなくなってしまいそうでもある。いや、ひとつではなく分野ごとになくなるので数多くの楽しみがなくなることになる。
比較することは別に悪いことじゃない。例えば味噌ラーメンが好きだとして「味噌ラーメンが好きでさ、色々食べ歩いたんだけどあそこの店のは別格だよ。あそこのを食べたら他のは食べれないね。」と言われたらどうだろう?きっと、そんなに美味しいのなら自分も食べてみたいとか、こだわり持ってて面白そうとか肯定的な感じになったりしないだろうか。
でも、少し言い方を変えて「この味噌ラーメンも美味しいかもしれないけど、前に食べたあそこの店の方が美味しかったわ。それと比べたらねぇ。」なんて言われたら、もう閉口するしかない。
それと同じように、綺麗な海を見たときにあそこの海の方が綺麗だったとか、たくさんの星空見たときにあのとき見た星空の方が凄かったとか、可愛い子を見かけてもあの子もの方がもっと可愛いとか、別に他の人に言われなくても自分もの中で思ったりしたら、なんとつまらない人間なんだろうと思う。その場その場を楽しめばいいのに、比べることによって楽しめなくなってしまっている。
そんな人間にはなりたくない。そうは分かっているつもりでもなかなかうまくできないので困る。
ネパールを旅していると、宿やレストランなど満足するレベルじゃないが他に選択肢がないみたいな場面が時々ある。そのときは、まあそういうもんだとそれなりに楽しんでいるものの、他に選択肢がある町へ移動したら、あえてまたそういうのを選ぶことはない。
「ソーセージはやっぱりドイツのが一番!」と言ってる人も、食材がろくすっぽないところに行き、しばらくご飯と目玉焼きだけみたいな食事が何日も続いたら安物のウインナーだって美味しい美味しいと言いながら食べるに違いない。でも再びドイツソーセージも他の色んなソーセージも売ってる場所に戻ってきたら、もう安物のウインナーには見向きもしないだろう。いざドイツソーセージも他のソーセージもなくならないと安物のウインナーは食べないのだ。
結局のところ都合よく比較したり、しなかったりしたいのだろうが、どだい無理な話なんだろう。