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記憶の上書き

写真を撮ったことのある相手と、撮ったことのない相手に対する記憶力がかなり違う。写真を撮ったことのない人は思い出す顔もあやふやで、表情も一定しない。浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す。どんな髪型だったかとか、どんな服を着ていたとか、そういう細かいところはさっぱりだ。
逆に写真を撮ったことのある場合はよく覚えている。相手の姿かたちだけでなく、そこでどんなことをしたかとか、何を話していたかなんかの情景も細かいところまでさっと思い出すことができる。
記憶が強すぎるくらいだ。思い出すのは当然、写真の姿。他の姿を思い出そうとしても、写真の姿が上乗せしてくる。そう簡単に写真の姿は消えない。数年後に会って以前とは違う姿が目の前にあっても、ついさっきまで一緒にいたとしても、頭の中にあるのは写真の中の以前の姿だ。新しく写真を撮っただけでは変わらない。新しく撮った写真を何度か見てるうちに、ようやく記憶が上書きされる。
こういう違和感はたびたび起こる。起こるたびに機械ではなく人間らしいなと思ったりするが、どこか出来損ないの機械のようでもある。
私は記録のための写真は撮らない。そのつもりだけども写真は何かを記憶するということの助けになっていることには違いない。思うに写真をただ撮るだけでなく、それを何度も見返すことで記録が記憶となって思い出のひとつになっていくのだろう。