Nepal

なりすまし宗教

私は特定の信仰を持っていない。日本では私と同じく多くの人が無宗教という自覚だろう。だが習慣的に宗教的行為を行っている人も多い。特定の宗教を信仰している意識を持っていなくとも、結局のところ神道を信仰している人達だ。
私はそれとも違う。無宗教であり無神論でもある。初詣にも行かないし、神社でお賽銭をあげたりもしない。もちろん祈りもしない。お守りを身につけたり、おみくじを引いたりすることもない。また死後の世界や霊魂、輪廻転生や因果応報みたいな考え方なんてものはてんで信じていない。新年がめでたいとも思わないし、葬式もしてもらわなくていいと思っている。
宗教そのものにまるで興味がないというわけではないが、日本の新興宗教の生臭さや神社仏閣のなりわいを見ていると信仰心などみじんもわいてきやしない。
そんな私だが外国で宗教はと尋ねられたら仏教徒と答えている。
信教が自由な日本では無宗教も選択のひとつにすぎないが、信仰に熱心な国で無宗教だなんて答えると面倒なことになるのでそう答えることに決めている。日本人の感覚だと「私は神を信じないけど、神を信じるかはあなたの自由。そいうのは関係せず仲良くしましょう。」という感じだが、その理屈は通らない。信仰に強い人は、道徳心や倫理観という人としての骨格のようなものが宗教の教えにより形成されている。宗教は精神的な支柱でもあり、行動も自制も全てが宗教によるものなので、無宗教となればそういったものが欠落した人間と見られてしまう。
ネパールでうかつに無宗教だなんて答えてしまうと、共産主義者のゲリラや中国のスパイかと疑われかねない。以前、小学生の女の子に無宗教と答えたら、共産主義者なのかとしつように聞かれるはめになったことがある。そのときの非常に不快感にあふれた表情は今でも覚えている。