Nepal

比較幸せ不幸せ

 2015     Aug 31, 2016

人は比較なんぞしないほうが、幸せに生きていけるのかもしれない。でも、同時に娯楽がひとつなくなってしまいそうでもある。いや、ひとつではなく分野ごとになくなるので、数多くの楽しみがなくなることになる。
比較することは別に悪いことじゃない。たとえば、味噌ラーメンが好きだとして「味噌ラーメンが好きでさ、いろいろ食べ歩いたんだけど、あそこの店のは別格だよ。あそこのを食べたら、ほかのは食べれないね。」と言われたらどうだろう?きっと、そんなに美味しいのなら自分も食べてみたいとか。こだわり持ってておもしろそうとか。肯定的な感じになったりしないだろうか。
でも、少し言い方を変えて「この味噌ラーメンも美味しいかもしれないけど、前に食べたあそこの店のほうが美味しかったわ。それと比べたらねえ。」なんて言われたら、もう閉口するしかない。
それと同じように、綺麗な海を見たときに、あそこの海のほうが綺麗だったとか。たくさんの星空見たときに、あのとき見た星空のほうが凄かったとか。可愛い子を見かけても、あの子ものほうがもっと可愛いとか。別にほかの人に言われなくても、自分もの中で思ったりしたら、なんとつまらない人間なんだろうと思う。その場その場を楽しめばいいのに、比べることによって楽しめなくなってしまっている。
そんな人間にはなりたくない。そうはわかっているつもりでも、なかなかうまくできないので困る。

ネパールを旅していると、宿やレストランなど満足するレベルじゃないが、ほかに選択肢がないみたいな場面が時々ある。そのときは、まあ、そういうもんだとそれなりに楽しんでいるものの、ほかに選択肢がある町へ移動したら、あえてまたそういうのを選ぶことはない。
「ソーセージはやっぱりドイツのが一番!」と言ってる人も、食材がろくすっぽないところに行き、しばらくご飯と目玉焼きだけみたいな食事が何日も続いたら、安物のウインナーだって、美味しい、美味しいと言いながら食べるに違いない。でも、再びドイツソーセージもほかの色んなソーセージも売ってる場所に戻ってきたら、もう安物のウインナーには見向きもしないだろう。いざドイツソーセージも、ほかのソーセージもなくならないと、安物のウインナーは食べないのだ。
結局のところ、都合よく比較したりしなかったりしたいのだろうが、それはどだい無理な話なんだろう。