基本的に他人にどう思われても関係ないと思って生きている。どう思われてるかなんて気にしたところで、わかりっこないし、そんなことを考えるのがいちいち面倒くさい。相手が自分のことを嫌いでも、自分にとってはどうでもいい。自分のことを嫌うかどうかは、自分の問題ではなく相手の問題で、自分にできることはないからだ。そういうことを考えることが楽しいのならばいいけれど、自分の人生においては時間の無駄だと思っている。
かといって、別にあえて他者から嫌われようと思って生きているわけではない。自分のことしか考えずにまわりと協調しないとか、他者との交流を拒絶し、自分の世界に閉じこもっているとか、そういう類ではない。それなりに社会のなかで順応しているつもりであるし、偏屈な考えとかは持ちあわせちゃいない。ただただ自分にとって大切な人にだけよく思われていればそれでよく、それ以外の赤の他人の目や評価を気にして、嫌われないように立ち回る生き方をしようとは思っていないだけだ。
人に認められたい、ほめてもらいたい、そんな承認欲求もないが、評価されたり認められるのは、うれしいことではある。もちろん、自分が懇意にしているところでは、なおさらである。
カラーシャの谷へ行くと、毎回、宿の主人だったり、学校の先生がうれしい言葉を言ってくる。
「ほかの観光客は、写真を撮りにくるだけですぐに帰ってしまうが、あなたは違う。」
「あなたが撮る写真は、本当に仲良くないと撮れない写真だ。」
「子供たちはあなたのことを友達だと思っている。」
大げさな言い方ではなく、素直に口にするので、自分を受けいれてくれているのが感じ取れてうれしい。国籍や出身地などではなく、行為によって判断されているのも、またうれしい点だ。