ミャンマーの街を歩けば、道端のあちこちで見かけるのが、赤茶色の素焼きの壺。木陰や屋根付きの台に置かれている。壺の上にはフタがかぶせてあり、コップが置かれている。そう、これは水瓶なのだ。
そこを通りがかった人が誰でも水を飲めるようにと、近所の人が用意しているのである。水を施すことが、仏教の功徳のひとつとなる。いうならば、水のお布施だ。
素焼きの壺は、表面に浸みだした水が気化熱を奪うことで、暑い屋外でも中の水温は下がるという。古代エジプト・インド時代から伝わる、暑い季節がつづく国ならではの先人からの知恵である。
水瓶は道端だけでなく、学校の教室にも必ず置かれている。
よく訪れる小学校では、先生の許可さえ取れば、水は授業中に飲んでもいい。このときに妖精が現れる。この学校の生徒は、なぜだか水を飲むときに水瓶の蓋を頭にかぶって飲む。片手で水をすくってそのまま飲むのだから、別にかぶる必要なんてないと思うのだが、この姿が可愛らしくってたまらない。あの愛くるしさは、きっと水瓶の妖精に違いない。