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Nepal2017

#88

なりすまし宗教

Nov 20, 2018

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私は特定の信仰を持っていない。日本では私と同じく、多くの人が無宗教という自覚だろう。習慣的に宗教的行為を行っている人も多い。特定の宗教を信仰している意識を持っていなくとも、結局のところ神道を信仰している人たちだ。
私はそれとも違う。無宗教であり、無神論でもある。初詣にも行かないし、神社でお賽銭をあげたりもしない。もちろん、祈りもしない。お守りを身につけたり、おみくじを引いたりすることもない。また、死後の世界や霊魂、輪廻転生や因果応報みたいな考え方なんてものは、てんで信じていない。新年がめでたいとも思わないし、葬式もしてもらわなくていいと思っている。
宗教そのものにまるで興味がないというわけではないが、日本の新興宗教の生臭さや神社仏閣のなりわいを見ていると、信仰心などみじんもわいてきやしない。
そんな私だが、外国で宗教はと尋ねられたら、仏教徒と答えている。
信教が自由な日本では、無宗教も選択のひとつにすぎないが、信仰に熱心な国で無宗教だなんて答えると面倒なことになるので、そう答えることに決めている。日本人の感覚だと「私は神を信じないけど、神を信じるかはあなたの自由。そういうのは関係せず仲良くしましょう。」てな感じだが、その理屈は通らない。信仰に強い人は、道徳心や倫理観という人としての骨格のようなものが、宗教の教えにより形成されている。宗教は精神的な支柱でもあり、行動も、自制も、すべてが宗教によるものなので、無宗教となれば、そういったものが欠落した人間と見られてしまう。
ネパールでうかつに無宗教だなんて答えてしまうと、共産主義者のゲリラや中国のスパイかと疑われかねない。以前、小学生の女の子に無宗教と答えたら、共産主義者なのかとしつように聞かれるはめになったことがある。そのときの非常に不快感にあふれた表情は今でも覚えている。

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