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Myanmar2009

#197

ミャンマーの春

Sep 20, 2020

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ミャンマーは2011年まで軍事政権であった。まだ10年も経過していない、つい最近のことだ。
ミャンマーの軍事政権は、1962年のネ・ウィン将軍による軍事クーデターより始まった。ネ・ウィン将軍は大統領に就任し、1988年まで憲法と議会を廃止し、他の政党の活動を禁止する軍事独裁体制を維持した。主要産業の国有化など社会主義的な経済政策が進められるとともに、外国との交流を禁止する鎖国的政策も採用し、ミャンマー経済は長らく停滞を続けた。1988年にネ・ウイン政権退陣を求める全国的な民主化デモにより社会主義政権が崩壊し、デモを鎮圧した国軍がクーデターにより政権を掌握する。1990年の総選挙でアウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝したが、軍は政権移譲を拒否。民主化運動の弾圧やアウン・サン・スー・チー氏の拘束・自宅軟禁などに対して、国際社会から大きな非難を浴びることとなる。
その後もミャンマーの軍事政権は、鎖国的な政策を取り続けていたが、米国やEUはミャンマーに対して経済制裁および金融制裁措置を実施し、ミャンマー経済に大きな影響を与えた。そうしたなか、2007年に軍出身のテイン・セインが首相に就任すると、軍政主導の政治改革が開始され、2010年11月に新憲法にもとづく総選挙を実施。2011年3月にテイン・セインは大統領に就任し、ようやくミャンマーは民政移管を果たすのである。

はじめてミャンマーを訪れた2009年には、もう軍事政権を感じることはなかった。身構えてたものが、あれ?っと拍子抜けするほどに、何が違うのかわからないほどであった。
注意しなきゃいけないのは、政治の話をしててはいけないくらいのもので、街中で銃を構えた兵士がいるわけでもなく、いたって平和だったのだ。ただ、信号待ちをしていたところ、日本語で話しかけてきた青年が「なんでも聞いてください。政治のこと以外なら。」と言ったのには強烈な印象を受けた。
今と違ったのは、圧倒的に外国人の数。欧米から経済制裁をされていたため、欧米からの旅行者はほとんどおらず、外資系の企業もほとんどなかった。外国人が少なすぎて、1日に50回くらいは声を掛けられるので、少々疲れたりもしたが、金儲けにやっきになっているものも少なく、ずいぶんとのんびりしていたものだった。

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