ラダックは絶景だらけだ。澄み切った青空。緑に囲まれたオアシスような村。高く険しい岩山。どこまでも広がる茶色の荒野でさえも、ずっと見ていても飽きがこない。それはラダックにとってはなんでもない景色、名もない山だったりする。それでも、非日常的ですこぶるかっこいい。
だが、これはラダック、またはラダックと似た地形の場所に行ったことのある人にしか伝わらないんじゃないかと思う。事実、ラダックで感動して撮影した写真も帰ってきてから見ると、そのときに見た魅力も半分も写っていない。
まず、壮大さが足りない。写真に写る範囲は、見ている範囲よりずっと狭い。あのダイナミックさをそのまま表現するのはむずかしい。そして、実際に見ていて感動するものと、写真に撮って見栄えするものは、同じじゃない気がする。たとえば、山なんかは実際に見ているときは近くにあればあるほど、圧倒的な存在感がある。でも、それを写真に撮ると、ただ山がひとつ大きく写ってるだけである。写真には望遠レンズもあり、山を大きく撮ることなど簡単なことだ。でも、実際に山を間近で見る機会はそうはない。その違いが感動の違いを生む。あとはラダックの空気は、恐ろしいほどクリアだ。遠くの遠くまで空気が澄んでいるのがよくわかるほど、はっきりと見える。写真で出せる遠近感は、実物を肉眼で見ているのには到底かなわない。
なかでも伝えるのはむずかしくもあり、もっとも魅力的なのが山肌だ。ラダックの山は日本とは違い、岩山。緑で覆われていないどころか、木なんて一本もない山も多い。荒涼とした岩山の山肌は、見ていておもしろい。日本の山は隣接している山とはあまり違いがないが、ラダックの山は隣の山と形状や模様、色合いがずいぶん異なるのも飽きない理由だろう。
山肌を眺めながら、酒が飲めると思う。酒を片手に一日中こっちの山肌はどうだとか、あっちの山肌はこうだとか言っていたい。本当に一日中言っていたら、誰も聞いちゃくれないだろうけど、それくらい好きなのである。
移動の車窓から見える景色も楽しい。ずっと眺めてられる。私は車で移動するとき、決まって一時間後くらいに睡魔に襲われる。乗る前はちっとも眠くなくても、強烈な睡魔と闘うことになる。海外のひとり旅では寝ちゃいけないと強く思っていても、うとうとしちゃってる。そんな私がラダックの移動中ではちっとも眠くならないのがいい証拠である。
もちろん、全部の山肌がおもしろいというわけではなく好みがある。私のお気に入りは、岩山の一部が砂山のようになっていて、その模様がマーブル柄のように流れるような曲線を描いてるものだ。ほかには毒々しいものや、ギザギザなのも好きだが、やっぱり自然のアートのマーブル模様が一番魅力的である。