ラダックに住むムスリム女性も、ヒジャブを身につけている。ヒジャブとは、ムスリムの女性が人前で髪を隠すのに用いるスカーフのあれだ。原理主義のイスラム教の国みたいに、全身真っ黒や顔まで隠しているなんてのはいない。ラダックのヒジャブは学校こそ白色の無地と決まっているものの、普段は色鮮やかで柄もあり、華やかである。
イスラム教に限ったことではないが、別に原理主義が偉いわけではない。正しいわけでもない。戒律が厳しいイスラム教がいいわけでも、ゆるいイスラム教が悪いわけでもない。しばしば、イスラム教は頭を絶対に隠しておかないといけないとか、ヒジャブを脱いだら逮捕されるだとか、原理主義のイスラム教の国のイメージが先行させられるが、世界の大半のムスリム女性にとっては、頭を覆うか覆わないかは個人の自由である。
ラダックのムスリムのヒジャブの身につけ方には、それが見て取れておもしろい。子供にとっては、個人というより家庭の方針になるだろう。まったく髪を見せない者。軽く巻いてちらりと見えている者。頭に乗っけてるだけの者。もう隠す気がなさそうな者。それは同じ学校の、同じクラスでもわかれる。女の子がたった4人しかいないクラスでも、隠し具合は多様である。
また、おもしろいと思ったのが、それぞれの隠し具合が、前回の4年前と変わらず同じだったことだ。前は最年少クラスだったので、髪を隠すという意識は薄く、ただ単によく動く子は、はだけちゃってるだけかと思っていたが違ったようだ。幼いころからそれぞれしっかりとした自分の隠し具合を持っていたのである。