人間は慣れる、生きものである。どれだけ新しい経験をしたとしても、いつかは慣れてしまう。馴れることのできぬ環境というものはない。
ネパールの女性が、左の小鼻にする鼻ピアスのフリ。ネパールにおける鼻ピアスは、ただのファッションではない。南アジアでは、鼻ピアスの文化が古くから存在するが、する民族もあれば、しない民族もある。つまりネパールにおいてそれは、ジャート(カースト)の問題となる。伝統的に鼻ピアスをする民族にとっては、するのが当たり前で、しないということは、そのジャートの女性として認められない。
眉間にお守りとしてつける印のビンディー。ペンやお手軽なシールでつける点から、ときには点ではなく、サンスクリット文字やなにかの模様を描く。ビンディーに似たところでいうと、お祝いのイベントで年長者や、聖職者からつけられる赤い色粉の祝福の印、ティカ。
目のふちを黒いアイライナーでひくカジャル。これも子供の場合はファッションでしているのではない。子供がするカジャルには、邪視除けとしての意味合いがある。
どれもこれも、はじめてネパールを訪れたときには、ぎょっとしたり、不思議がったりと、やたらと目に付いたものだが、今となっては反応することがなくなっている。
慣れることで良いようになることはもちろんあるが、慣れは感動する感覚を鈍らせる。最初は感動を覚えたことに、徐々に感動を覚えなくなってゆく。思考が停止してゆく。ときには慣れないために、意識をしてフレッシュな気持ちを保つことが大切なのだろう。まあ、それができれば苦労はしないってんだが。