マケドニアには、人口の約65%のマケドニア人の以外にも、アルバニア人が25%、その他トルコ人、セルビア人、ロマ人(ジプシー)、ワラキア人などの少数民族がいる。宗教構成は、正教会が70%、イスラム教が29%、その他が1%である。
民族が違い、宗教が違うと、職場などを別にすれば交流は少ない。なかでも、少数民族で最多数のアルバニア人との関係は微妙でむずかしい。民族ごとに居住区はほぼ決まっており、アルバニア人が多く住むエリアはアルバニアの国旗が目立つ。小学校もマケドニア人の学校とアルバニア人の学校とがある。混合学校も存在するが、クラスは別々のところもあるという。
はっきり言って、マケドニア人はアルバニア人のことをよく思っていない。それは、2001年のマケドニア紛争のことが大きい。
マケドニアは、1991年のユーゴスラビアから独立以降、おおむね安定していた。1998年にマケドニアの北に隣接する国セルビアのコソボ自治州で、独立を要求するアルバニア人と、これを認めないセルビア共和国とで対立が起こる。コソボ紛争である。コソボでは、NATOがコソボ解放軍(KLA)を支援し、セルビアを空爆し、紛争が終結した。コソボでの紛争は終結したが、それで終わらなかった。コソボで力を持ったコソボ解放軍は、2001年にマケドニアで、アルバニア系住民の民族解放軍(NLA)と名を変え、武装蜂起を起こしたのだ。これに合わせ、コソボから武装勢力が越境しようとしたため、マケドニア軍との間で戦闘に。マケドニアでの衝突は小規模なものであったが、戦争犯罪がなかったわけではない。多数の市民が拉致され、虐待を受け、殺害されている。
マケドニア紛争は、最終的に NATO による介入により停戦となった。NATOが主導したオフリド合意は、マケドニア共和国におけるアルバニア人の権利拡大を保障したものであったため、マケドニア人の反アルバニア感情の原因となっている。