ウズベキスタンは世界にわずか二か国しかない、海に出るためには最低二回国境を通過しなければならない二重内陸国。そんな海が遠いウズベキスタンには、かつて海と呼ばれた湖があった。
たった数十年前の1960年代まで、世界第4位、琵琶湖の100倍の広さを誇った中央アジアの塩湖、アラル海。カザフスタンとウズベキスタンにまたがるアラル海には、アムダリヤとシルダリヤという、ふたつの川が注ぎ込み、流出する川はなく流入と蒸発のバランスが良く、砂漠地帯でありながら水位は一定に保たれてきた。アラル海の塩分濃度は1%(海水は3.5%)程度で、魚の宝庫だったという。年間数万トンもの魚が捕れ、キャビアや魚の缶詰を加工する多くの工場があり、地域の産業を支えていたらしい。
だが、旧ソ連のスターリン時代、綿花栽培などの農業用水を確保するため、このふたつの川の流れを変えてしまった。その影響でアラル海は縮小をはじめる。60年ほどの間に10分の1以下の面積に縮小。船が砂地にとり残されてしまうほど水が減ったことにより、湖の塩分濃度が上昇し、湖の生き物のほとんどが死滅。漁業をはじめ缶詰工場も閉鎖に追い込まれた。
さらにそれだけでなく、干上がった大地からは塩分や、綿花栽培の農薬や化学物質を大量に含む砂嵐が巻き起こるようになり、周辺住民の呼吸器障害を起こすなど、20世紀最大の環境破壊と言われている。
かつてウズベキスタンの港町だったムイナク近くに放置された船。湖が干上がるまで魚を水揚げしてきたが、今ではさびついて動かない。ここは船の墓場と呼ばれている。
動かして集めてきたのだろう、船が横一列に並んでいる。少しわざとらしい。アラル海に特別思い入れがあるわけではない。昔のアラル海を見たこともなく、アラル海で捕れた魚を食べたこともない。ここに住んでいる知り合いもいないし、存在を知ったときにはすでに干上がっていた。
こんなスケールが大きい負の遺産を見ても、なんとも思わない私は何かが欠落してるのかもしれない。さびて朽ち果てた船が、少し格好いいと思うだけ。広島の原爆ドームを見たときも、ただ少し格好いいと思っただけだった。