最近は高性能なデジタルカメラやスマートフォンの普及により、いつでもどこでも高画質で美しい写真を撮影できる時代だ。しかし、いくら高精細とはいえ、撮影したそのままだと美しさは半減してしましまう。デジタル写真は、写真編集と現像作業をして、はじめて写真として完成形となる。
フィルム写真も写真屋で現像してもらう場合は、写真屋が軽く写真編集をしたうえで、プリントされている。撮影したものをそのままプリントすると、暗すぎたり、明るすぎたり、色がおかしかったりして、いまひとつな写真になってしまうからだ。デジタルカメラは写真屋を介さないので、写真屋がやってくれていた写真編集作業を自分でしなければならないというわけである。
写真編集の内容はさまざまだ。基本的なところだと、明るくしたり、逆に暗くしたり、色味を変えたり。ほかには、ノイズを除去したり、ゴミや非対象物を消したり、トリミングしたり。さらには、写真の仕上がりを見て、なんだか物足りない、オリジナリティがないと感じたら、合成や加工をしたりする。
私にとって写真編集は、非常に根気が必要なものである。その一番の要因は、枚数が多いことだ。私は旅行先で撮った写真を、再び訪れるときに持って行っていく。多いときは500枚を超え、600〜700枚くらいになる。少ないときでも300〜400枚くらいだ。
写真編集する写真が600枚あって、1枚あたり10分かかったとしたら、100時間必要になる。仕事ではないので、日々コツコツやるしかない。しかしだ、100時間ってのは、1日に1時間作業したとしたら、3ヶ月以上かかることになる。実際どれくらいの時間を要しているかは不明だが、トータルではもっと時間がかかっていると思う。
私の写真編集には、3つの使いわけがある。ひとつめは、ホームページやSNSなどにアップする写真。この写真はもっとも編集に時間がかかる。1枚に1時間以上かかることも珍しくなく、仕上げた写真を確認して、何度もやりなおすことも多い。写真の枚数は少ないが、かけている時間は一番長い。時間はかかるが、お気に入りの写真なので苦ではない。なんなら、写真編集で唯一楽しい部類の写真たちである。
次が写真自体や被写体は気に入っているが、ホームページなどで公開するほどの出来ではなかった写真。この写真も、それなりの時間をかけ、丁寧に編集している。これが大半で、写真の枚数が非常に多い。お気に入りの子の写真は、素敵に仕上げたいところだが、写真が多すぎてちょっとつらい作業だ。
最後にあまり好きじゃない写真。学校でクラスの生徒をひとりひとり撮ったり、何度も訪れているところだと、撮ってと言われて撮ることもある。自分が撮りたいと思った瞬間以外は、できる限り撮りたくないが、その場を円満にするためには、こういった写真も必要なのだ。この写真を編集するのは、苦痛でしかない。作業も最低限で済ませることもある。
そんなこんなで、毎日ではないものの、1年中絶えず写真編集をしている気がする。