美の基準に絶対的なものなどなく、個人によって違う。それでも多くの人が「これこそが美しい」と膝を打つ、王道の正統派美人というものは存在する。
自分の中の美的感覚は、その正統派な基準から決してズレていないという、揺るぎない自負がある。
ところが、どうしたことか。現代の美のトレンドを眺めていると、いつの間にか正解のルールがすり替えられた、未知のフェーズに突入したのかとさえ思う。
過剰に加工された写真、不自然な美容整形、そして、意志を持たない瞳がこちらを見つめるAI生成の数々。美を追求した果ての結果なのだろうが、そこに宿っているのは美しさというより、拭い去れない不気味さである。
その不気味さは、食品サンプルのレタスに似ている。色鮮やかで形も整い、完璧な姿。けれど、そこにはみずみずしさも、命の気配も感じられない。
技術が理想に追いついていないのか、それとも、自身の顔という土台を忘れて、無理のあるデザインをしてしまったのかは、わからない。美しくなろうと手を加えれば加えるほど、生身の人間から遠ざかり、どこか無機質な不気味さが漂いはじめる。
「不気味」を「美」と呼び変えて突き進む、現代の美学。迷走と呼べそうなトレンドを「進化」として納得するには、まだ少し時間がかかりそうだ。いや、そんな日はもう一生来ないのかもしれない。