ラダックでは珍しく人物以外に写真に撮りたいものがあった。それはポプラの木。ラダックの風景というと草木一本も生えていない荒涼とした岩山のイメージだが、村は必ずといっていいほど、ポプラの木に囲まれ緑豊かなのである。
なんにもない荒野をずっと走り続け、やがて緑豊かなポプラの木たちが見えてくる。そこには水があり、村があるので、ほっと安心する。別にその村に立ち寄らなくとも、なぜだか安心する。ラダックの移動はそれの繰り返し。このためラダックでの心のよりどころみたいなもんで、ラダックといえばポプラのイメージが強い。
すらっと高く直立するポプラは、見上げるのもまたいい。実に静かなラダックの村ではわずかな風でもさやめく音が聞こえる。その音がまた安らぎをより与えてくれる。
とっても気にいったポプラだったが、前回の帰国後に撮った写真を見返しているとポプラの写真がない。写真撮っておけばよかったと悔やみ、次行ったときは、たくさんポプラの木を撮るんだと思っていたわけだ。
けれども、特にどう撮ろうとか考えていなく、ノープラン。目の前にすると高身長なポプラはことのほか撮りにくく、構図に悩ましいやつであった。それでも念願のポプラを撮るというのは嬉しく、ポプラいいよ、とか独り言を言いながら、撮ってはニヤニヤして眺め、撮ってはニヤニヤを繰り返した。はたから見たら、やべーやつに見えただろうし、本当に誰も見てなくてよかった。