首都カトマンズと第二都市ポカラの途中にある町、ドゥムレから30分ほど山道を登ったところにあるのがバンディプル。
かつてはインドとチベットを結ぶ交易の要所として栄えたが、カトマンズとポカラハイウェイを結ぶプリティヴィ・ハイウェイが1974年に開通すると、尾根の上にあるバンディプルは一気にすたれた。発展から取り残された古い街並みは、2000年ごろにカトマンズの観光企業が、地元と共同で古民家ホテルとして改築し、メイン通りは車両が乗り入れられないようにした。おかげで、今もなおネワール文化と宿場町の雰囲気を色濃く残しつつも、雑多な喧騒とは無縁の穴場的観光スポットとなっている。
バンディプルへはいろいろあって、前回来たのが2011年で6年ぶり。前回に撮った写真を渡そうと持ってきたが、6年ということは小学校1年生だった子が中学生になっているのだから、普通に歩いていて、すれ違いざまに気付くというのは、さすがにむずかしい。なかでも一番会いたい子の写真は路上で撮ったものだったので、まずは写真を撮ったあたりで地元の人に聞いてみる。見せるのは6年前の姿の写真だから、地元の人でもわかるか心配だったが、あっさりと判明し居場所を教えてくれた。
出会ってしまえば、面影はたっぷりあるし、探してたのはこの子だってことはわかる。けれども、彼女は当然6年前に写真を撮られたことなど覚えていないし、私も成長した姿は私の知っている当時とはまた異なるので、はじめて会ったのに知っているというな奇妙な感覚に陥った。6年というのはそれくらいの昔なんだろう。
バンディプルではカトマンズ資本のホテルだけでなく、地元の人も食堂や雑貨店や宿を開いている。彼女の家もメイン通りで食堂を営んでいた。食堂だが看板にはホテルとある。バンディプルのメイン通りの建物はみな一階が食堂か雑貨店で、二階以上は宿屋というネパール独特の宿場町のスタイルなのだ。
聞くと、彼女はバンディプルにある京都のノートルダム学院のシスターが開いた学校へ通っているという。この学校は今やネパールの最高の学校のひとつとして、首都カトマンズの国立の学校よりも国家試験への合格率が高いことで有名。バンディプルの子供たちだけでなく、遠くの村や町からもよりよい教育を求める子供たちが集まってくる学校だ。卒業生は立派な職業につき、ネパールだけでなく海外にも出て行くのだという。その、優秀な人が海外へ出て行ってしまうというのが、今ネパールのかかえる一番の問題なのではあるが。