ネパールを旅行していると、ネパールってやっぱりいいなと思う瞬間がいくつかあって、そのひとつが分け合う文化。
たとえば、みかん2つを3人組の子供にあげたら、ちゃんとみかんを割って分け合うし、そこには私の分まであったりする。日本人からすると普通に思うこの行為だが、これができない国も多いのだ。取り合いになってケンカしちゃたり、奪われて泣きだすこともしばしばだ。
ネパールではこの分け合う文化にたびたび出くわすので、そのたびに心和んでいるのだけど、ひとつすっきりしない出来事がある。
それは学校に前回撮った写真を持って行ったときに起こる。学校の場合、全校生徒を撮っているわけじゃないので、写真がある子ばかりじゃなく、写真がない子も当然いる。写真がある子のなかでも、1枚だけの子もいれば、お気に入りの子なんかは何枚もあって、多い場合は10枚以上あることも珍しくない。
そこでだ、先生がたくさん貰った子の写真の中から、背景に写り込んでいる写真のない子を見つけ、その写真を分け与えるのだ。だけどね、その写真は私があげた子用の写真であって、その写り込んでいる子を狙って撮っているわけではないから、その子にはピントすら合ってないし、表情もいまいち。本当にただ写り込んでいるだけなのだ。ときには、ぎりぎり誰か判別が可能なぐらいで、もはや怨霊が写っている心霊写真とそう違いないレベルだったりする。
そんな写真、貰ったほうもうれしいか?と思うのだが、先生としては、みんなにまんべんなくあげたいようだ。一度あげた写真は相手がどうしようが自由だから何も言えないが、私は本来あげる予定だった子にあげたくて持ってきているので、いつもその光景を苦々しく眺めている。
私にできるのは、次からは可能な限り怨霊が写り込まないように撮ることと、怨霊が写り込んでいる写真を持っていかないこと、あとは怨霊が出ないよう祈ることだけだ。